式内 美幣奴神社
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概 要
社 号 式内 美幣沼神社
式内社 因幡国八上郡 美幣沼神社
元、灰塚に鎮座、江戸時代は「忌部大明神」と称していた
読み:古 ミテクラヌ 現 みてくら
所在地 鳥取県八頭郡八頭町篠波字奥深谷698
旧地名 因幡国八上郡
御祭神
太玉命(フトダマ) 瀬織津姫神(セオリツヒメ) 保食神(ウケモチ)
例祭日 4月9日 例祭 10月9日 秋季大祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座 大37座(就中一座月次新嘗。) 小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
八上郡(ヤカミ):19座(並小)
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳
本殿様式 権現造
境内摂社(祭神)
一口メモ
国道23号線、堀越交差点を東へ入る。国府町へ抜ける県道39号を、進むと稲荷、下峰寺、上峰寺、延命寺など地名に寺社にゆかりのある地名が続く。
歴史・由緒等
美幣奴は、延喜式神名帳では美幣沼神社とある。古くは私都(きさいち)村といわれ、同社は 旧私郡谷郷中の惣社であり、その唯一の式内社。私都は私部(きさいべ)の都(中心)でという意味だろう。
「私」という字は「后」と同じ意味で、「きさき」と読んでいた。 「部」は、朝廷に属する各種職業人の集団ということで、皇后のためのことをする人達は「私部」と言われていた。 例:大阪府にも交野市私部
(ウィキペディア)
美幣は、御幣(ごへい)の転訛。御幣とは、神道の祭祀で用いられる幣帛の一種で、2本の紙垂を竹または木の幣串に挟んだものである。幣束(へいそく)、幣(ぬさ)ともいう。元は御幣沼は万葉仮名で「ノ」だから、御幣の宮という意味である。
忌部氏
(いんべし・いみべし)とは、今の宮司さんであり、大和時代から奈良時代にかけての氏族的職業集団である。ケガレを忌み、神事などに奉仕する。古来より宮廷祭祀における、祭具の製造・神殿宮殿造営に関わってきた。祭具製造事業のひとつである玉造りは、古墳時代以後衰えたが、このことが忌部氏の不振に繋がる。アメノフトダマノミコト(天太玉命)を祖先とする。氏族は多数に及び、各地に広がっている。
境内・社叢
鳥居 手水舎
拝殿 本殿覆屋
地名・地誌
八頭町
1889年(明治22年)4月1日 – 町村制施行により、下私都村、上私都村、中私都村となる。
1953年(昭和28年)5月5日 – 郡家町・国中村・大御門村・下私都村が合併し、郡家町が発足。
1957年(昭和32年)3月31日 – 上私都村・中私都村が郡家町と合併。
2005年(平成17年)3月31日 – 郡家町・八東町・船岡町が合併し、八頭町が発足。
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